やっぱり小さくなくちゃ(笑)。
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山口百恵

先週、大黒PAなぞにいってバンキッシュなどを見せていただいたのですが、その後仕事で徹夜続き。更新する気力がおきませんでした。代わりに、山口百恵のことが最近気になって書き始めたら止まらず勢いに任せてとりあえずアップします。

時代と寝た女などと呼ばれてほとんど伝説化していますが、私は彼女と1つ違いなのでまさしく彼女が寝た時代を思春期、青春期として過ごしたわけです。
重要なのは彼女が私がただ一つ知っているポルシェという言葉が入っている歌を歌っていたことです。プレイバックパート2です。この歌を最初に聞いたのは荒川でボートを漕いでいて(大学時代はボート部でした)、川岸で釣りをしている人のラジオから流れてきた「馬鹿にしないでよ」というセリフでした。私はテレビをほとんど見ない人間なので本当にびっくりしたのを覚えています。
このボート部は当時史上最強といわれた運動部です(今私が名付けました(笑))。その1年後から前人未到のインカレ4連覇を成し遂げます。当時は正直、他を圧倒してました。4連覇の最初の年はこのボート部から出た2艘が5艘出漕する決勝に2台とも並び、かつ、その2艘が優勝争いをすると思われたのですが、一艘は一人が池に飛び込んでビリ(私はこちらに乗ってました(涙))、もう一艘はもちろん優勝しました。2年目は世界選手権から帰った1週間後にインカレがあり参加するかどうかも危ぶまれる中、あえて出漕し遠征疲れと時差ボケにもかかわらずあっさり優勝。この年は幻のモスクワオリンピック代表にもなった年でした。3年目は2位以下を100メートル以上離して圧勝。2000メートルのうちの100メートルですからね。マラソンで言うと2キロ以上、100メートル走では5メートル以上離しての優勝です。4年目はついでで優勝(笑)。当時大学のボート部は8月末に有るインカレをターゲットとして練習してましたので社会人も出る全日本選手権は、うまくタイミングが合えば出る、という感じだったのですがそこでも出れば圧勝してました(8月で4年生はやめるんですね)。
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そのとんでもなく強くなる直前の状態です。青春時代の力と魂のぶつかり合いが直後の4連覇を成し遂げるエネルギーにまさしく昇化していく瞬間でした。
ポルシェの歌を聴いたのはそんな時代の遠漕で初めて行った荒川の上流でした。当時、女が「馬鹿にしないでよ」という歌を歌うのはものすごいインパクトでした。いったい誰がこんな歌を歌ってるんだよ、と思いつつオールを漕いで陸に上がって確かめたら山口百恵だったと言うわけです。妙に納得したのを覚えてます。歌う姿、歌う声はものすごい迫力でしたし彼女は存在感の塊みたいな女性でした。
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この歌は紅白のトリを取った歌です。当時の紅白は今と違って視聴率が60%とか80%とかの時代で民放各局は裏番組を編成するのをあきらめてみんな同じ番組を流していた時代です。そんな時代のトリですからNHKはちゃんと山口百恵を評価していたんだと思うしこのポルシェの歌は彼女の代表作といっていいでしょう。また、当時NHKは公共放送でしたから(今でもそうですが(笑))、「ポルシェ」という企業名を出すのはだめだ、ということで歌詞を「クルマ」に替えて歌うのではないか、とも巷間もっともらしく噂されてました。でもちゃんと「ポルシェ」で歌わせたのはさすがNHKと思ったものです。ちなみに民放各局は彼女を正当に評価してませんでした。あれだけ活躍したのに賞をほとんど取ったことがなかったように記憶してます。

じゃあ私は評価していたかというとそういうわけではありません。山口百恵と同時に桜田淳子、森昌子の当時中三トリオと言われた3人がいて桜田淳子はとてもかわいい歌手でものすごいオーラが漂ってました。300人くらいの集団の中にいてもこの子が一番、とすぐにわかると言われたくらいの女の子でした(「私の履歴書」で当時の作詞家がそういってます)。森昌子は当時話題になった「先生」という歌でデビュー、歌唱力が抜群と言われました。
その中で山口百恵はものすごくかわいい、というわけでも無く歌唱力が抜群、というわけでもない人でしたからスタッフがとった策が「年端の行かないかわいい女の子がけなげにエッチな歌を歌っている」路線でした。山口百恵はこの策を非常にうまくこなします。衒いながら歌うでも無くごまかしながら歌うでも無く普通に歌ったのでした。また、彼女は声変わりするんですがその前でしたのでかなりハスキーな声で歌っていたのを思い出します。そういうわけですから当時のおじさんたちにはとても受けたのではないでしょうか。でも逆におばさんたちには猛反発を受けます。確か当時は全国PTA会みたいなのが有って山口百恵の歌は教育上好ましくないので学生は見ないように、というお達しもでたように記憶してます。話題になっただけで効果はもちろんありませんでしたが。でもスタッフはおじさんよりもおばさんの方が力を持っているという当たり前の事実に気付いたんでしょう。2年くらい経つと不思議なことに逆におばさんたちが山口百恵を評価し始めます。ただ、当時は私には男のみならず女にも評価されることは理解できませんでした。山口百恵以外の女性歌手で女性に評価されていた歌手はいなかったような気がします。でも、最近彼女の歌を聞き直して気付きました。山口百恵はカッコ良いんですね。彼女はものすごくかわいいわけでもなく抜群の歌唱力もありませんでしたが、人並みはずれた強い心を持っていたように思います。それが存在感になっていたし、「年端の行かない女の子が〜」路線を普通に演じることができたのでしょう。普通の女の子にあの路線がこなせるとは思えません。
この強い心がある意味では他の子に影響したのでしょう。桜田淳子も森昌子も途中で脱落して行きます。そして山口百恵はその絶頂期に「交際宣言」をし(当時はあり得ないことでした)、結婚、引退する前は「私はもう処女じゃ有りません」宣言もしてます(ちょっと嘘が入ってますが(笑)、でも突っ張っていってるんじゃなくてごく普通に言っているところが彼女のすごいところです)。それでも彼女の人気は揺るぐことは無かったのでした。引退した後はマスコミにまったく出ることも無く芸能人にありがちな離婚もしていない(はず)のもやはりものすごく強い心を持った女性だったからだったと思います。

「年端の行かない女の子が〜」路線を山口百恵がとっていた時、一歳違いの私も当然年端の行かない少年でしたから(笑)、「女の子の一番大切なものをあげる」とか「私、何をされてもいいわ」などと歌う彼女の歌は強烈でした。PTAは正しかったんですね(笑)。というわけで同世代の私にとって山口百恵はどちらかというとエッチな歌を歌う歌手、というイメージが染みついてます。f0043634_00448.jpg今youTubeで確かめたら件の紅白での初出場曲は「年端の行かない〜」路線の集大成である「ひと夏の経験」だったんですね〜。ストレートど真ん中、さすがNHK(笑)。

今から比べると彼女は働き者でした。毎年主演映画を撮っていましたしドラマも「赤い〜」シリーズでほぼ出ずっぱりだったように記憶しています。写真集もかなり大量にでていたのではないでしょうか。篠山紀信が彼女を何度も撮っていたのも話題の一つでした。山口百恵はエッチな歌を歌ってましたが、「脱がせる魔術師」と言われた篠山紀信も山口百恵を脱がせることは有りませんでした(私の記憶の限りでは)。まあ、言葉攻めが得意だったんですね(笑)。

そんな彼女もさすがに働きづめで心身ともに病んできたんでしょう、文字通りマイクを置いた後は2度と戻ることはありませんでした。
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彼女が活躍していた時代は、私が勉強やボートに没頭している時期に重なるので山口百恵をテレビで観たこともドラマを見たこともほとんど記憶にありません(当然映画も)。ので、私が書けることは限られているのですが、それでも彼女の歌を聴くと当時を思い出します。山口百恵が時代と寝てくれたことに感謝しています。
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by today216 | 2007-01-16 00:06 | Boxster
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